昔から人と話すのは苦手だ。発表とかグループワークとか、かしこまった場だと特に。
だが社会人として生きていくには人と話さないなんて、無理だ。
でも、辛いのよ。
人との対話の難易度が高い
なぜ自分以外の人間はそんな容易く対話ができるのだろう。私から見ると天才に見える。
- 相手の話を聞く
- 相手が何を伝えようとしているのか理解する
- 必要に応じてメモをとる
- 相手は自分になにを答えてほしいのか考える
- 脳から返答に必要な情報を引っ張り出す
- 伝えるべき情報を取捨選択する
- 引っ張り出してきた情報を文として組み立てる
- その文を失礼のない文体に変換する
- 相手に聞こえるような声量とトーンを意識する
- 声に出して答える
↑↑↑これを瞬時に!何ターンも!!できない!!!脳みそどうなってんだ
しかもなんの話してたか速攻で忘れちゃう。ワーキングメモリがカス。
基本すべてに興味がないから集中力もなく、聞き漏らし、話に置いてかれる。
「ダメよ、これは仕事なのよ、集中集中!!」
って自分に言い聞かせても、すぐに全然関係ないどうでもいいことを考えてしまう。脳みそが言うこときいてくれない。
自分の返答がトンチンカンなのではないか、と心配しながら恐る恐る発言するので、アタフタして支離滅裂になる。
という感じに、Web会議・対面会議が苦手だ。ちなみに電話はもっと苦手だ。なにを言ってくるのか推測ができないから。
終わった後はいつも脇ビッショビショ
仕事なんだからちゃんとやれ!
苦手はどうにもできない?
小学生のとき、国語の「話す・聞く」のテスト(ラジカセで音声ながすやつ)だけ異様に点数悪かった。思い返すと音読とかでもスラスラ話せない子ってチラホラいた。産まれつきというか、脳の発達や特徴によって苦手がうまれているのは実際あるのだろう。
しかし、「話す・聞く」が苦手、というのは社会人として生きていくうえで致命的。
対話をうまくするための本も読んでみたけど、実践できない。
苦手はすぐには治らない。どう誤魔化していくか。
聞き逃してしまっても、素直に聞き直せばいい。
話すのが下手でも、根気強く伝えればいい。
⇒これは正しいと思うけど、それもまた勇気がいる。
「真面目に話聞いてんのか?」
「何言ってんのかわからないんだけど」
「痛々しい」
そう言われるのも思われるのも、怖い。
そうだ、『明るくて一生懸命で強かな人』になればいいんだ。
明るい人ほどミスしても笑って許されることが多いし、とりあえず一生懸命感を出しておけば嫌われたりはしない。傷つくのも怖いけど、傷ついてると他人に思われるほうがもっともっと嫌だから、傷つかない人を演じればいい。
そして明るくヘラヘラした感じに振舞ったり、頑張ってる感を出していた。自分が傷つかないために、半分無意識に、そういう人格を作っていた。
けどそれも最初だけで、続かない。私は明るくなんてない。演じ続ける心の強さもなかった。
暗い人って損だよね…でも生まれ変わらない限り明るくなるなんて無理…
このままの自分で生きるしかない?
社会人生活を送るために必要不可欠な「対話の能力」が低い。
この先何十年、精神削りつづけるか、自分が傷つかないように心を無に押し殺して生きていくしかないのだろうか。
人と話したくない。人の話なんて聞きたくない。人に認識されたくない。自分を誰もしらない環境にいきたい。
プログラマは営業職とかに比べると比較的人と対話する時間は少なく、PCに向かってる時間が長い。それなのに人と関わりたくないと思ってるなんて、絶望的だ。どう生きていけばいいんだろう。
苦手なことを気にしないでいられる図太さはないのに、恥をかきたくないという無駄なプライドはある…
でも「このままの自分」で生きていくなんて、突出した才能もないのにムリなんじゃないかな…
視野が狭くなってる!人と関わりたくない原因は、「自分そのもの」ではなく、「自分と掛け合わさっているナニカとの相性」が悪いだけじゃないのかな
まずは自分の生態をあばいて、探していこうよ
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